音は芸術である, 芸術は官能を刺激する その喜びは、性的な喜びと同一, 音を聴けば、すぐにわかるはず, 感じればよいだけ. 理論を振りかざしても所詮いつも一歩手前の不出来な音の様だ! 良い音とは、いつも感情を官能的に刺激してくれるもの,いくら解析しても現象が先きで理論は追いつけないが、理論は間違いではない、ここが厄介なので間違っていないのだから理論が正しいと誤った解釈をしてはオーディオをやることの本末転倒である,現象が正しいのである事を勘違いしない様に 音楽を聴きこと自体官能の世界に入る事なのでただ聞くだけで解る事なのだ、何も特殊技能が必要なのではない。 芸術を見るも書くも聞くもセックス的官能を求めているに過ぎないのではないだろうか。これらに定説はないのだ。そうはいってもこれらに幾つかの共通点を満足しないと良いとは感じない様です。そこが皆さんを悩ます(楽しませる)キーポイントの様ですと、それはトレミングよる自己志張。構図による志張、バランスの取り方、ぼかしの効用など仔細を考えればきりがないが確かにとおもう向きもある、これらに縛られることはない。全て,感性の赴くままが答えかもしれません。それはどれだけ多くの人が人生の中で経験したかで理解させる大きさが変わる様です。 山の空気に触れて感じて戻ってきました。自然がなせる芸術にはとても及ばないし登る苦痛は体内の蓄積された汚物までも浄化してくれるようだ。しかしそれに触れるだけでも有意義な事でないでしょうか?